永遠のとりあえず(1) : おでんのからし設置方法

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うちでおでんをやるときは、練りものは基本的に松陰神社のおがわ屋さんです。

それは置いておいて、

おでんを食べるときに、取り皿の端っこのほうに、からしを置きますよね。
おでんの時は、つゆもあるから、取り皿は「皿」というよりは少しだけ深めの「ボールより」のを使いますよね。
そうすると、からしがだいたい、端っこにとどまらず、勝手に入水しますよね。すーっと。

つゆ全体をからし味にしたいわけではなく、こんにゃくとか大根とか、適宜つけたいものにつけたくても、気づくと入水して、底のほうに行ったりしている。けど「まあいいか」という感じで食べる。だいたいいつもこんな感じです。
どうしても混ぜたくない場合は、別の小皿にからしだけ取っても良いけど、それも面倒なので。

こういう「ベストではないけど、まあいいか」とされている手段とか習慣などを、「永遠のとりあえず」と呼ぶことにして、見つけたらここに挙げていこうと思います。次いつ気づくかわからないけど。

「永遠のとりあえず」は、「ベストではないが」という多少の不満のようなものが含まれているので、必要は発明の母じゃないけど、なにかの解決策とかデザインを発想するヒントになることがあるかもしれない。
一方で、からしの例でいえば、別の皿をわざわざ出して洗いモノが増えるのも面倒とか、費用対効果的なことも踏まえて「まあいいか」とされているので、そういう意味で「暫定案にしてすでに究極の名作」である場合も多いと思います。簡単に代替策を作るのは難しいとか。「とりあえず」なんて気軽に言ってくれるな、と。
そういう両方の意味で、学ぶべきところが、あるかもしれない。と言えなくもないかもしれない。

とりあえず思いつく「永遠のとりあえず」の代表的なのは、車のワイパーとか。
奥田民生が車への愛を歌った、車関係の歌ばかり入っているアルバムでも、「ワイパーってずっとこんなんだね」ということを歌っていました。
あの「視界のだいたい大事なところの水を、とりあえず払う」感じ、しかも手か定規ではらってるようなプリミティブな手法。他にも現代の技術ならなんかありそう(他の車の技術のハイテク感と不釣り合いなような印象)と思わせられますが、きっと製造コストとか、故障の際のメンテナンス性(自分でも頑張れば直せそう)とか、安全性(シンプルなしくみで壊れにくそう)とか、いろいろ考えると「あの形」に落ち着くのでしょうか。
これは歴史もあるので限りなく「究極の名作」に近い例といえそうです。

・・・というシリーズ記事です。次号未定ですがお楽しみによろしくお願いします。

ちなみに「永遠のとりあえず」を見つけたからといって代替策を提示する予定はありません。気付きだけのストックです。

おでんのからしは、よく考えたら、コンビニおでんの器で、すでに解決策が提示されてますね。
発泡スチロールの器の端に「からしスポット」的なのがあります。
ぜんぜん「永遠」じゃなかった。すいません。

上に書いた「奥田民生の車の曲」を調べてみました。
2001年の「CAR SONGS OF THE YEARS」というアルバムで、その中の「車カー」という曲の歌詞に

雨をよけるぜ名づけてワイパー
昔からこれだね
ずっと進歩しない

と歌われています。
ブルースコードのブギー調の曲だったと記憶しています。

こうやってWikipediaとか歌詞検索サービスとか、ネット上にある情報で、なんでも調べられるから、便利な時代です。逆に「◯◯だった気がするなあ」くらいで調べずに適当なことを書くと、炎上とかしちゃうんですよね。おでんのからしでも。こわいです。

調べついでで思い出した件ですが、みんな大好きな名曲「イージュー★ライダー」のオリジナル(シングルバージョン)は、そういえばこのアルバムに入っていました。
車つながりはわかるけど、なんでだよ、っていう。
というのは、同じ頃にメインのアルバム(?)として出た名曲揃いの「股旅」には、イージューライダーのシングルバージョンは入っておらず、ゆっくりめの別バージョン(うぉーっていう爽快さは減ってる)なんですよね。そういう外し具合は、「両方のCD買わせようとしやがって」とかではなくて、「このへんの肩すかし感がロックだよな」と捉えていました。当時。のどかだな。
いまは音楽もiTunesどころかAPPLE MUSICとかで、もはや「アルバム」の単位が完全に消えつつあるので、「両方買わせる」どころじゃないし、そもそも若者は「は?アルバムってなんすか?」という感じになってるのだと思います。

昔を懐かしむ老人ブログっぽくなってきたので、終わります。


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