コーンポタージュの話

cornsoup

今年も残り半月、だいぶ冬らしい寒さの日も増えてきました。

寒い日が増えてくると、僕は缶のコーンポタージュをよく飲むようになります。

正確には、寒い日が増える前、自販機に「あったか〜い」コーナーができて程なくコーンポタージュが登場次第、週2〜3本くらいのペースで飲み始め、寒い日が増えてくると1日1本以上くらいのペースで、コーンポタージュをよく飲むようになります。

それくらいに缶のコーンポタージュ(以下「缶ポタ」。そんな風に呼んでないけど。)を飲んでいる僕が特に気に入っている缶ポタは、ダイドードリンコ社「最後の一粒までおいしい コーンポタージュ」です。

ポイントはその名の通り、最後の一粒までコーンを楽しめることです。

『コーンの粒が缶の底に残って飲めない』と言うお客様の声から、最後の一粒まで味わっていただけるよう、広口リシール缶を採用しました。

とウェブサイトにもあるように、普通の缶ポタのほとんどは、最後にコーンが残るのが気になる。一粒残らず食べようと拘っているわけではないですが、あの出そうで出ない感じがとても気になります。

なので、このダイドーさんの缶が発売された時(3シーズン前くらい?)は、ほんとうに素晴らしいと感じたし、「もう缶は全部コレで、各社に徹底してくれ。ダイドーさんも、特許とか申請しませんように」と願ったものでした。(結果的には、各社の広口リシール缶統一は実現されていないのが現状。)

そんなダイドーの缶ポタの缶信者だった僕ですが、今年ちょっと発見があって、それは

これ、コーン要るか?

と。

コーンなくても美味いんじゃないかな。そしたら最後の一粒も気にならないんじゃないかな。

各社一様に「コーンの粒たっぷり!」と(広口リシール缶を採用しないままに)うたっているので、気づかないうちに洗脳されていたけど

コーン粒たっぷり

かならず粒が残る(ちょっとストレス)

という悪循環が発生しているように思います。そして「たっぷり入ってるんだから、最後に残る一粒二粒気にすんなよ」と、数の理論で説得しようとしている感じすらある。何度も言うようですが、こちらは残る粒の数を問題にしているわけではなくて、「出そうで出ない、ひっかかってる感じ」が気になっているだけです。

そもそもホテルの朝食とかのコーンスープって、粒は入ってないですよね。クルトンが浮いてたりしても。それでも美味しいし、別に「コーン感が少ない」とか、そういう不満もない。きっとコーンは丁寧にすりつぶされ、煮詰められ、濾されているのだと思います。

むしろ粒が入ってるのって「家のコーンスープ」くらいじゃないだろうか。缶ポタ以外では。
それはそれで「家コーンスープ」は「家カレー」と同じくらい美味いけど、市販品である缶ポタが似せていくのは、家カレーじゃなくてホテルのほうで良いはずである。

そうして考えていくと、

コーンポタージュは粒が入っていなくても美味しいし、とくに粒が食べたいわけでもなかった。

といえます。

なので、むしろ「出そうで出てこない」不快感をなくすためには

——— ついに登場の粒なし! 最後の粒でイライラしないよ!

を特長にうたった缶ポタが売られていても良さそうな気がします。あるのかな。

さすがに「粒がないからイライラしない!」はダイレクトすぎるし、そう思ってない人だって居るはずだよ?ということなら

――― ホテルの味 裏ごしコーンポタージュ
(下に小さく「全部飲み干せるから後味スッキリ♡)

くらいでも良いです。

まとめると、

 

  • 知らぬ間に「粒リッチ戦争」に巻き込まれていたが、(自分の場合は)そもそも粒はそんなに求めていなかった。
  • 「最後の粒が飲めずイライラする」問題に対しては、「最後の一粒まで飲める」でなくて「最初から一粒も入っていない」という解もあり得る

サービス設計やUX設計を考える時も(唐突)、一度たちどまって「そもそも、なんだっけ」を考えてみるのって大事ですね。というお話でした。

最後に、文中で何度か「コーンスープ」と「コーンポタージュ」を行ったり来たり、表記が揺れているのをお詫びいたします。
表記のゆれというか、そもそもコーンスープとコーンポタージュは別物なのか? という辺りは、引き続き研究していきたいと思います。


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