跳ね橋ですが何か – オランダ流の課題解決 その1

アパートを出て歩いて会社に向かう途中、アムステルダム名物の「跳ね橋」が跳ね上がっている状態に出会うことがあります。
垂直に立ちあがって行く手をふさぐ橋を見ながら考えた、「オランダ的なこと」について。

ご存知の方もいると思いますが、アムステルダムは海抜が大変低く、街中に網の目のように運河が流れています。物理的な意味で、水がとても身近にある街です。
その運河に架かる橋のうち「跳ね橋」になっているものが多くあります。そこでは河の水面と橋桁の高低差が少なく、橋を跳ね上げないと船が下をくぐれないからです。

まずこの「橋を持ち上げよう」という感覚が、すごいと思う。
写真で見るとおり、結構大がかりです。これが街中にたくさんあって、現代でもふつうに使われている。そこそこ頻繁に、あちこちでパカパカと跳ね上がってます(貨物船が盛んだったころより少ないのでしょうが)。

「船が下を通れない → 橋を持ち上げよう」というのは、よくわかる。
わかるけど、日常的に橋を持ち上げるとなると、コストもかかりそうだし、待ち時間も長くてクレームになりそうだし、とか、なんとなく「気が遠くなる」感じがしてこないでしょうか。街中でプロジェクトXですか?みたいな。

オランダの人は、そう思わない。
そんな風に聞いたら「だって持ち上げないと、通れないじゃん」とシンプルに答えるだろうし、「君たち日本人がフミキリを下げるのと、何が違うの?」くらい言うかもしれません。

さらによく見れば、持ち上げた橋が電線をよけるための「切り込み」まで入っていたりして、とてもよく出来ています。
だけど、、普通そこまでやる? ノッポさんの工作みたいで面白いけど、本当に作っちゃうの? というつまらないことを、つい思ってしまう自分がいます。

オランダで過ごしていると、こういう街の仕組みや、仕事上のプロジェクトのやりとりでも「あー、そのままやっちゃうんですか」とか「これでいいんだ?」というような、気持ち良い肩すかしにあうような感覚が、度々あります。

たとえば、街の基本的なことでは、土地が水面より低いから常に水をポンプアップしている状態で成り立っている(止めると街が水に沈む。風車はのどかに見えて、そのためのものです。)とか。

住宅の階段が急で幅もせまいから、住居の壁にはフックがついていて、引越の荷物はつり上げて窓から運び込む、とか。

「常にポンプアップしてれば、OKはOKなんでしょうけど、そもそもそれって、住むの難しいってことじゃないですかね?」とか、ぜんぜん思わない。
もちろんそういう議論はあったかもしれないけど、結果的にはシンプルに「解決できる方法」が選ばれて、実行されているという印象。

そういう視点で見ると、街のいたる所にそんな跡があり、ワクワクするような、呆れてクラクラするような感覚になります。

要するに、「課題」に対してストレートに論理的に考えて、実行する。というのが、ブレないのだと思います。
課題は解決したほうが良いに決まってるので、当たり前といえば当たり前のことですが。

日本では、あれもこれも汲み取って、先回りして悪い側面ばかりを検討したりして、
「いろいろ調査・検討した結果、ちょっと今回の件は難しいかと思われます(やめときましょうよ)」
と、プロジェクトを始める前にあきらめてしまうようなことも、多いのではないでしょうか。
それを、オランダでは素直に実現してしまっている、という印象。

こういう話を「日本・オランダ」で単純に一般化してしまうのは、乱暴かもしれませんが、しばらく過ごしていて、そういうことを感じました。

では、オランダではどういう経緯でノッポさんのようなアイデアも「実現」されているのか。今回の滞在の中で、その秘密をもうすこし探っていきたいと思います。


オランダの友人は「ある都市の計画は、25年前から議論し続けていて、ひとつも進まない。オランダでは全てがまったく遅い。25年よ?信じられる!?」と怒っていたので、そう簡単にどちらが良いとも言えないみたいです。


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